私の内面を形づくるまなざしをほどく──『音を立ててゆで卵を割れなかった』刊行記念イベント

喫茶店でモーニングセットを頼むとき、いつも静かな緊張感が走ります。
この、皿に乗っているさらさらのゆで卵を、どうぶつければ最小限の音で、”普通に”殻を割れるのだろうか。とてもシンプルな行為(であるはず)なのに、自分の動作や、自分が立てる音、すべてに妙な違和感を覚えて、気がつけば動くことすらままならなくなってしまう瞬間が、ときどき訪れます。
生湯葉シホさんのエッセイ集『音を立ててゆで卵を割れなかった』には、そうした日常の「あーあ」という嘆息のような場面が、諦めや怯えと共に、やわらかく、それでいて確かな鋭さでうつし出されています。本書のタイトルと、数々の「食べられなかった/食べそびれた」エピソードを目にしたとき、手放しでは言えない感情がふっと湧き上がり「わかります、わかりますよ」と何度頭の中で握手を交わしたことか。
ひとつの記憶や出来事を前に立ち止まり、目を凝らし、どんなときにも内側との対話をたやさない。その気質には、どこか厳かなデリケートさが宿りますが、同時に「生きること」に向き合うタフさもあり、生湯葉さんの文章からは、その曲がらない屈強さを感じられます。
韓国の詩人、ハン・ジョンウォンさんの文を思い出します。
「私の目で見たものが、私の内面を作っている。私の体、足どり、まなざしを形づくっている(外面など、実は存在しないのではないか。人間とは内面と内面と内面が波紋のように広がる形象であり、いちばん外側にある内面が外側になるだけだ。)
…そのあとまた、私の内面が外をじっと見つめるのだ。小さくて脆いけれど、一度目に入れてしまうと限りなく膨らんでいく頑固な世界を。」
陰があるからこそ、光は立ち上がる。やるせなく、ぎこちない断片に自ら輪郭をあたえることで出会い直せる感情があり、すぐには言語化できないものを反芻してこそ、掬い上げられる歓びもあります。今回は生湯葉さんと共に、自身を形づくる内面を包容する決意のしなやかさ、ずっと心の奥に仕舞っていたことを言葉にして差し出す明るさ、感情と伴走する文体との距離感について、思いをめぐらせる場になればと思います。
あわせて今回は、みなさんの「食べられなかった/食べそびれた」ものにまつわるエピソードも募集しています。イベント時に共有・発表させていただきますので、ぜひお気軽にお寄せください。https://forms.gle/eHMJGNLFhhofVdm36
ご参加をお待ちしております。
生湯葉 シホ(なまゆば・しほ)
東京在住。フリーランスのライターとして、Web・雑誌を中心にエッセイや取材記事を寄稿している。読売新聞のWebメディア「大手小町」にてエッセイを連載中。趣味はライブに行くことと香水を集めること。生湯葉のほかには豚汁が好き。最近、吹き矢教室に通おうか悩んでいる。X:@chiffon_06
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