
話したいことが頭に浮かびます。言葉という輪郭をまとい、声を連れて喉元を通り過ぎ、音となり、流れていきます。
「話す」という行為は、日々繰り返されていても、毎回思い通りにいくとは限りません。声にならないこともあれば、意味や形をもたないまま、ぼんやりと吃ってしまうこともあります。つかえに気づき、言い正そうと慌てるほど空回りし、やがて羞恥心に襲われ、差し出すはずだった本来の姿を見失います。
そうして思うように話せず、言い淀んだり黙り込んでしまえば、「それじゃわからない」「ちゃんと話して」と指摘され、苦しみと葛藤が生まれます。しかし、いざ淀みなく流れるように話す人を前にすると、いいなあと羨む一方で、どこか味気なさや居心地の悪さを感じることもあり、「言葉をあつかう」とはいったい何なのだろうと考えさせられます。
聞くこと、話すこと、声音と身体のつながりについて絶えず考察をつづける作家・尹雄大さんと文化人類学者イリナ・グリゴレさんの往復書簡『ガラスと雪のように言葉が溶ける』(大和書房)を読んでいると、「意味を持つ前の言葉」や「静けさ」が語られる場面にたびたび出会います。
「言葉の意味を捕まえようとしてもズレるだけで、じっと耳を傾けて待つしかないことだってあるし、かと言って、それではっきりと何かがわかったと言えることはなくて、ただその成り行きを体感するしかない。」(尹)
「人類は言葉を使うから優れているという歴史的な勘違いにいつになったら人は気づくのでしょう。静けさの方がずっと大事で人間らしいのに。言葉は祈りと詩、唄のためだけにあるのであって、人間同士のコミュニケーションのためではありません。」(イリナ)
「彼女と彼女の中の他者と私とが、その存在に気づいた。それは明示することのできない、言葉でははっきりと言えないことではあるけれど、確かにいるのだとそのとき私たちは知った。何かを確認するのではなく、言えなさの中にしか感じられない。言葉が沈殿し、静まった中でしか想いをはせることができない。」(尹)
現在、鹿児島の知的障害者支援施設「しょうぶ学園」の企画に携わられている尹さん。そこで「自閉症」「知的障害」と呼ばれる人たちが発する、形になる前の言葉のほつれに触れるとき、むしろ「健常者」とされる人たちの話す文法のほうに引っかかりを感じるといいます。
明確に届き、まっすぐな受け答えだけを求め、便利に見える言葉を以て話すわたしたちは、本当に自由でいられているのでしょうか。
言語に困難を抱えているのは、果たしてどちらなのか。今回は、言葉の在り方を「書く」ことで探りつづけてきた文筆家・土門蘭さんを迎えます。豊かで移ろいやすい言葉そのものがもたらす閉塞感、なだらかに話せてしまうことの不完全さについて、じっくりと考えをめぐらせ、お話しいただきます。ぜひご参加ください。
【登壇者プロフィール】
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